2017年03月14日
「誰よりも秀吉に使えた男 石田三成」
さて、今日の画像の武将は誰なんでしょうか?
あまりにわからなさすぎるのがいいと思ってこの画像にしました(笑)
これからの武将の話にするときは全部こいつが出てきますので、覚悟しておいてください(笑)
さて、今日は「石田三成」という人の話をしようと思います。
ちなみにですが、自分でハードルを上げているのか気付いていませんが、ぼくが話をするような話は歴史好きの人なら知っているようなエピソードばかりですよ。
歴史的大発見なんて間違ってもありませんから気を付けてくださいね
では、始めましょう。
「石田三成」は、幼名(子供のころの名前)を「佐吉」といって、滋賀県のどこぞの寺で丁稚奉公していました。
※昔の武士は、15歳くらいで元服と言って大人になるのですが、それまでは幼名と言って違う名前がありました。
有名なところでは、源義経(牛若丸)・徳川家康(竹千代)などがそうです。
そんな佐吉君のところに、どういういきさつか知りませんが、かの有名な「豊臣秀吉」さんが現れます。
どうやら、相当頑張って移動している途中だったらしく、ひどくのどが渇いていた秀吉さんは、我慢できなくなって寺によりお茶がほしいと言ったのでしょう。
そのときにお茶を持ってきたのが佐吉君です。
佐吉君は、まずひどくのどが渇いている秀吉さんのためにお茶を一気に飲めるようぬるいお茶を出しました。
もちろん、秀吉はのどが渇いていたので一気に飲んで、もう一杯お茶がほしいと言います。
次に佐吉君は、さっきよりもすこし熱いお茶を持ってきます。
すると、秀吉さんはさっきよりは一気に飲めないけど、飲み切り、もう一杯と言います。
佐吉君は、3杯めはとても熱いお茶を持ってきて、秀吉さんはそれを落ち着いた表情でゆっくり飲んでのどを潤します。
一応、このやりとりは寺の誰かに言われて、佐吉君がしたのではなく、自分で考えて秀吉さんをもてなしたそうです。
正確には知りませんが、まだ佐吉君は小学生か中学生くらいの年齢だと思います。
そんな少年にこんなおもてなしが出来るなんてすごくないですか
と、そのときの秀吉さんも思ったようで、この佐吉君を自分の秘書にするために寺から自分の元へ引き取ります。
そんなこと出来るのかと思わなくもないですが、それはその当時勢いがあった秀吉さんなら可能だったんでしょう(笑)
この出来事が石田三成さんの歴史への登場です。
ちなみに、歴史のドラマなどを見ていると、秀吉さんが三成さんに対して、「佐吉」と呼んでいることがあります。
というか、ほとんどそう呼んでいますが、その理由は光成さんの幼名が「佐吉」だったからです。
そして、この三成さんと同じようにのちの大名となるすごい人物の中に「加藤清正」さんと「福島正則」さんがいます。
この三人は、秀吉さんの奥さんのねねさんが子供のころから育てた兄弟のような存在です。
ですので、秀吉さんもこの三人に対しては子供のころの呼び方で呼んでいたようですね
さて、こんな三成さんはとても得意なことがありました。
それは、今で言うところの経理や人事などの社内で行う仕事です。
昔のことですから、兵糧(お米)の管理やどこに誰を治めされるかなどの人事は一手に三成さんが担うようになっていきます。
あなたもご存知のように、石頭の融通の利かない人がこのような職についていると、上の人間はとても安心ですが、下の人間からするとやりにくくてしょうがなしですよね
と、この当時のみなさんも三成さんに対してはそう思っていたと思いますよ(笑)
もちろん、このことは秀吉さんの思い通りの展開だったのだと思いますけど(笑)
さて、そんな優秀な三成さんが唯一と言ってもいいのかもしれませんが、とても苦手なことがありました。
それが、「戦(いくさ)」で、いまで言う戦争です。
さて、今日はもう長くなってしまいました。
この続きは、明日にしましょうね
つづく
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