2017年03月15日
「誰よりも秀吉に使えた男 石田三成」
さて、昨日の続きで「石田三成」について書いていきたいと思います。
戦が苦手だった三成さんのエピソードは、実は映画にもなっています。
その映画は、「のぼうの城」という映画で、主演が野村万斉という狂言で有名な人です。
この映画の中で、上地雄輔さんが石田三成の役をしています。
簡単に説明すると、このとき豊臣秀吉は圧倒的な数で当時最後まで秀吉さんに抵抗していた北条さんに兵を向けていました。
その北条さん側に「忍城(おしじょう)」という城があって、そこを攻略するように秀吉さんから三成さんに命令が下ります。
実は、この戦いは数だけで見ると圧倒的過ぎて、すぐにでも落とせてしまえそうなくらい簡単な戦いになると思われていました。
しかし、敵である「忍城」の面々も予想に反して抵抗します。
そして、最終的に北条側の城でこの城だけ落とされることなく北条が負けてしまいます。
この戦を経験したことで、三成さんは自分には戦の才能がないと考えるようになります。
そこで、先日ご紹介した「島左近」を自分の参謀として招き入れることになるんですね。
自分に出来ないことは、誰かの力を借りて補えばいいということをよくわかっていたんでしょうね。
そういうところは、とても頭が柔らかいというかなんというか(笑)
もしかすると、こうする方が論理的なことだと考えたのかもしれません。
そして、貴方もご存知のようにこの三成さんは、本当に秀吉さんのために働きます。
正直、秀吉さんの部下の中でも一番秀吉さんのために働いたのが三成さんではないでしょうか。
そして、それは秀吉さんがなくなった後もです。
関が原で負けて処刑されて死んでしまいますが、他の豊臣恩顧の武将が徳川家康側に付くなか、三成さんは秀吉さんへの忠義に殉じます。
まぁ、三成さんのやり方も不器用すぎるので、他の武将たちも腹に据えかねての行動とも思いますし、豊臣家に対して反乱を起こしたのは家康さんだけで他の面々は光成さんに対してということかもしれません。
確かに、三成さんはそこまで思われるようなことをしたのかもしれません。
しかし、ちょっと考えてもらいたいことがあるんです。
ここでもし、三成さんが嫌われ役をしてくれないと誰が一番困ったのでしょうか?
もちろん、三成さんがその人の為にそこまで考えて嫌われ役を引き受けていたのかどうかはわかりません。
でも、どこかそう思わずにはいられないんです。
だから、それがわかっていた人は、三成さんのために命をかけてまで一緒に行動を共にしたのではないでしょうか。。。
本当は、もっと書きたいこともあるし、話をしたいこともあります。
でも、このブログはそういうブログではないので割愛します(笑)
実は、この三成さんの人生を見ていると、何か考えさせられることがあるんです。
明日は、その話をしてみたいと思います
つづく
吉祥整体院
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