2017年09月29日
「正解と不正解」
ぼくが受験勉強をしているときに面白い話を聞いたことがあります。
ですから、もう10何年も前に聞いたお話ですね(笑)
ただし、本当にそんなことをしたのかどうかはわからないんですけど、ちょっとお話したいと思います
確か現代国語のセンター試験の問題に関するお話だったと思います。
いつかのセンター試験に小説の長文問題が出て、その長文の中からある一文が選ばれて読み取れる作者の気持ちを次の4つの選択肢の中から選びなさいというような問題があったそうです。
よくある選択問題なのですが、長文なのでいくつか設問があるんですね。
その問題をその小説を書いた作者が挑戦したらしいんです。
本来であれば、その小説のことはその作者が一番よくわかっているわけですから、その作者の選んだ選択肢が答えになるはずですよね。
でも、結果的には半分以上間違いの選択肢を答えてしまって点数としてはボロボロだったようです。
これを聞いたときに、ぼくは単純にどうしてそんなことが起こるのか?と思いました
作者が違うと思うような選択肢を正解にすることが間違っているんじゃないの?と思いませんか?
ただこの話は、先ほども言ったようにテレビでやっていたのかなんかの時に話で聞いたのか定かではないので、本当の話なのかどうかわからないんですけどね(笑)
でも何となくですが、私たちは普段の生活の中でもどこか正解を求めているよなぁと思うことはありませんか?
だって、正解を知っていた方が物事を判断するときにとても楽ですよね
しかし、その正解とは本当に誰にとっても正解なのでしょうか?
数学などのように必ず答えが同じになるという分野もありますから、「正解なんてものはないんだ」と言うつもりはありません。
きっと、ある時にはそれは正解であり、ある時には不正解になるというか(笑)
人間関係でも同じことが言えると思います。
ある人には選択肢Aは正解だけれども、この人には選択肢Bが正解で、選択肢Aを選ぶと不正解だったみたいなこともありますよね。
でも、もしかしたら選択肢Cだったらもっと大正解だったというようなこともありえるわけです。
極端な話をすると、不正解を選んでこれは不正解なんだと理解することもまた正解なんだと思います。
そう考えるとね、何が正解で何が不正解なのかわからなくなってしまうと思いませんか?
だからと言って、その探求をやめてしまうことはまったく意味が違うというか・・・
結局何が言いたいのでしょうか?
よくわからなくなってきたので今日はこの辺で(笑)
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「気持ちを〇〇する」
「自分のやりたいこと」
「以前にも書きましたが・・・」
「突拍子もない話」
「あともう一歩という罠」
「質感(しつかん)」
「自立ってなんなんでしょう」
「どうでもいいと思ってしまう」
「最近意識していること」
「言葉に出来ない叫び」
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Posted by 吉祥(きちよし) at 00:00
│答えのでない話